都市戸籍と農村戸籍雑考
渡邊理
 
 中世ヨーロッパ史において、「都市の空気は自由にする。」という有名な言葉がある。単純比較できないものの、現代の中国においても切実な響きがある。なぜならば、中国の戸籍制度(中国語では、「戸口」が戸籍を意味する)には、都市戸籍と農村戸籍の区別が存在し、特に農村から都市への流入を厳しく制限している、という特徴があるからだ。日本では、憲法でも保障されている「移動や居住の自由」が制限されているのだ。
 上記の制度は、中華人民共和国建国により1958年に全国的に施行された「戸口登記条例」に基づく。転居の自由を制限するのは封建的という感想を有する方は少なくないであろう。また、中国人は「城壁の民」と呼ばれてきた伝統があり、古来から存在するシステムのように見えるかもしれない。だが、これには切実な理由が存在する。
 建国当初、沿岸の大都市で工業化を推進したので、多くの農村出身が都市に移動してきた。例えば、北京では、1949年の 203万人から、1955年には 320万人へと増大している。そのため、交通渋滞、住宅不足、そして、なによりも、食料不足が深刻であった。配給でも限度があったので、戸籍管理を徹底した上で、農村から都市への人口の流入を抑制する必要が出てきた。一面、発展途上国の多くの都市に見られるスラム街の形勢を抑制してきた側面はある。
 加えて、毛沢東は、北京大学学長で、人口論で権威だった馬寅初の人口抑制案(1957年7月の全人代に「新人口論」を提出した)を無視した。「産めよ増やせよ」こそが、国家を豊かにすると毛沢東は信じきっていたためだ。この点からも、毛沢東は経済学に明るい思考を有していなかったことが分る。そのために中国の人口は、特に農村部では、飛躍的に増大した。中国の人口問題は深刻となり、今日にも様々な大きな影響を及ぼしている。
 文革の時代、都市部で紅衛兵として乱暴狼藉を働いた若者を「農村に学べ」として、下放した。これは都市部での失業問題を農村部へしわ寄せするのが、実の目的だった。その際、若者に都市戸籍から農村戸籍への変更をさせた。文革の混乱終結後、幹部の子弟や都市部で高級幹部などへのコネを親がもつ子弟については、都市戸籍の復活が早期に可能だったが、それがかなわない若者達の多くが農村部に取り残され、辛い年月を重ねている。
 ケ小平の改革・開放政策以降、経済成長で都市部で労働人口の需要が高まった。また、毛沢東時代に人口問題を放置したので、農村部には余剰人口が多く存在するようになった。それに伴い、戸籍管理(戸口制度)による管理が困難になり、「民工潮」という農村部の余剰労働者が都市部へと流入するようになった。だが、もともと都市戸籍を有している市民と移住してきた市民との間では、様々な格差が存在する。経済格差もその一つである。教育費一つとっても農村出身者の子供の家計から授業料を多く徴収する。それに戸籍で管理しきれない住民には、年金や社会保障とて、受給が保証されているわけではない。都市住民は「鉄の飯椀」、農民は「泥の飯椀」とか、「都市で農民が自由になるのは空気と便所だけ」と言われてきた。戸籍管理制度は弱体化し、部分的には、1990年代前半までに比べると若干改善された部分もある。だが、胡錦濤政権でも、格差解消の努力が全人代でも唱えられているものの、農民の犠牲の上で特権を享受する都市住民という「二重構造」に解消に向けた劇的変化は見られない。
 さらに悲惨なことを述べれば、闇戸籍の人々の存在である。ケ小平以降、人口抑制のために「一人っ子政策」が実施されてきた。しかし、戸籍による管理の厳しい都市部と違い、農村部では、農業労働の担い手として秘かに数人の子供を産んでしまう。そのため、長男以外は、戸籍上存在しないことになっており、この世に生を受けてから、社会保障が全く受けられない不幸な子供たち(中国語では、「黒孩子」と呼ばれる。)がいる。彼らは、成人した際、余剰労働としてやむなく都市に流入するも、仕事がなく、生活は困窮している。芥川龍之介の小説『羅生門』のように、飢え死にをするか、盗人になるかのいずれかという切羽詰った深刻な状況にある人々も存在する。今夏、発覚した山西省における子供たちを含む「奴隷レンガ工場」の存在があるが、上記のような背景の人々も少なくない。
 中国の食をめぐる不安について、中国の農村部に向けて、海外からも援助をし、農民をはじめとする生産者を豊かにさえすれば、ゆとりをもって食品の生産活動に従事でき、食の安全に繋がるという意見がある。だが、そんな単純な話で解決するほど中国の事情は甘くない。農村部については、例えば、国際的人権擁護団体として知られるアムネスティ・インターナショナルの報告を聞いても悲惨であり、農民はインドのシュードラに譬えられるほど、社会で上昇する機会がほとんど存在しない。また、農村部での官僚の腐敗も酷く、苛斂誅求ともいうべき農民への搾取や虐待も存在する。折角の海外からの援助とて、地方官僚の私腹を肥やすのに流用され、農民のもとに届かない可能性が高い。
 農民とて、暴動のみでなく様々な手段で事態の改善をはかる努力をしている。例えば、北京では、役人の横暴を中央官庁に訴えるために農村部の人々が集結した「直訴村」が形成される状況が報じられた。それに対して、其々の地方から農民の直訴を阻止すべく、地方の警官が張り込みをしている。だが、今年の10月以降、北京市による「直訴村」の解体や人権擁護の立場の弁護士が地方へと追放される事態も見られる。北京五輪を控えて、国内外に中国国内の矛盾を表出したくないという面子の現れであろうが、逆効果であろう。それは問題を先延ばしにするだけで、解決にならず、かえて国内の矛盾をより拡大し、後世への大きな憂いとなるからだ。今、中国に必要なことは、農村の実態調査を公明正大に実施し、事実を究明することである。それに則っての格差解消を目指すのでなければ、不可能であるし、絵空事として、信用できない。
 現実に「蛇頭」に代表される中国マフィアに頼って、不法入国してでも、日本、豪州、米国、そして、カナダといった海外移住をし、市民権を得ようとする人々もいる。現在、一頃より目立たないが、海外移住希望者は全く存在しないのではない。中国で都市戸籍を習得するよりもむしろアメリカの市民権を得る可能性が高いような人々が存在する。さらに中国の経済が、いざ景気後退を向かえれば、そうした人々は顕在化する。2010年上海万博までは大丈夫であると楽観視せず、事実を見定めた上で、格差問題への対応をするべきだ。
 
主要参考文献
 
天児慧・石原享一他編『現代中国事典』岩波書店、1999年5月20日 第1刷
菱田雅晴「現代中国における社会移動」(宇野重昭他編『岩波講座 現代中国 第3巻   静かな社会変動』岩波書店、1989年11月20日 第1刷
倉沢進・李国慶『北京』中央公論社、2007年8月25日