北インド旅行        2004年8月

 

 インド旅行を始めた。

 1日目  21日 新千歳で、かつての学生Kさんとその母に偶然あった。同じ飛行機に乗るのだ。参加者は1号と2号に別れる。値段が違うらしく、対応が違う。

 香港経由で、デリー( Delhi に遅く着く。デリー国際空港からホテルまでバスでゆく。途中のインドの家々は貧しい感じで、それがコンクリートで簡単にできているので、なお一層あわれに見えた。

  我々の廻る、デリー、アグラ、ジャイプールは、観光のゴールデン・トライアングルと言われる。今回はこの三角の都市をバスで回っただけの旅である。

 1ルピーが、2004 8 月で、25 円だった。物価は非常に低い。何でもまける。お札には、5001005020105 ルピーがあり、ガンジーが印刷されている。

 インドの首都はデリーで、ニュー・デリーもその中にあり、政治行政の中心である。ボンベイがインド最大で経済の都である。インドで 28 の州がある。バスやトラックは、州境で通行料金を払う。

 「ナマステ」が挨拶語で、何でも通じる。こんにちわ、さようなら、おはよう、である。ヒンドウーとは、インドのことで、ヒンドウー教に始祖はいない。

 

 2日目  22日。デリー見学が始まる。インド門、大統領官邸などをバスで見る。ラジガト、つまりマハトマ・ガンジーの荼毘にふされた場所の記念碑を見る。

  憲法ではないことになっているが、カーストは今もある。階級は、バラモン、クシャトリア、ヴェイシャ、スードラ、不可触賎民である。これらは本来は職業集団とされる。ガンディーはカーストに反対した。そして不可触賎民を「神の子」と呼んだ。だが今はその語も、悪い意味になってしまった。釈迦もカーストに反対した。

 ここの小広場に6才くらいの二人ほどの男の子がいて、見ると、かわいらしい顔をしている。近づいていったら、どこからともなく10人くらいの同年齢のこどもが集まってきた。集団乞食かなと思ったら、そうでもなさそうだ。何もしないで、ただぶらぶらしているらしい。外国人が珍しいというので集まったのだろうか。我々はヒンドウー語が分からないので手を振って分かれただけだった。

 我々のガイドは、インド人で、何か社会福祉の活動もしている。いらない服などを送ってくれれば、貧しい子供たちに配ります、と言う。そこで帰国後我々は、古い下着類などをダンボール箱1つに詰めて送った。しかし礼状は来なかった。どうしたのだろうか。着かなかったのか。礼状は求めないが、着いたくらい葉書が来てもよさそうだ。もっとも彼がイスラーム教徒なのか。

 インド門の前で写真タイムだ。フーマユーン廟を見る。これはフーマユーン(第2代皇帝)の霊廟で、その妃が 1565 年に建てた。典型的なムガール様式の庭園霊廟で、高さ 425 m。タージ・マハールにも影響を与えた。フマユーン廟では入場料が、インド人は 10 ルピー、外国人は 250 ルピーだった。外国人から収入を得ようとする政策だ。

 ムガール帝国はバーブルが立てた。第二代皇帝がフマユーンで、彼は1度国を奪われて、その後復権した。

 

 アグラへ向かう。ジャイピー・パレス・ホテルで昼食をする。

 ここにタージ・マハールがあるのだった。そこへ行くのに電気自動車を利用した。これは環境問題のために作られた。タージ・マハルは、シャー・ジャハーン(第5代皇帝)が、 若くして亡くなった妻ムムタズのために、22 年かけて建てた総大理石の霊廟である。タージ・マハールの本堂には、宗教的意味だろうか、靴では入れない。これは世界で最も素晴らしいイスラーム建築の一つで、他はアルハンブラ宮殿(スペイン)である。

 第三代アクバルがムガール帝国の最盛期で、シャー・ジャハン皇帝も有能であった。妃ムムターズは彼と共に戦場について行った。この霊廟は遠くから眺めて飽きない。

 帰り際、物売りに絵はがき集を買わされた。物売りはしつこい。

概して観光客相手の物売りがすごい。売るものは、絵はがき、彫刻、帽子、絵、なぜかボールペン、である。

 

  この近くのアグラ城塞(アグラ・フォート    赤い城)を見に行く。アクバル(第3代皇帝)は北インド全体に勢力を拡張し、156573 8 年をかけて赤砂岩の壮大な城を築いた。高さ 21 m。3面に川の水をひき、壁には攻撃用の穴がある。ここで説明の冊子を買った。ここからタージマハルが展望できる。

 皇帝は多くの妾を持っており、彼女らの住まいが、高い城跡から見渡せる。宮殿内には野天の広場があり、皇帝はそこで歌舞音曲を楽しんだ。

 ホテルで夕食をし、石の模型のタージ・マハールを買う。これを持ち帰ったら、壊れてしまった。ここアグラ(Agra で泊る。

 

 ムガール帝国は、15261858年まで、皇帝では17代続いた。その歴代皇帝は、

 第1代 バーブル

 第2代 フマユーン

 第3代 アクバル

 第4代 ジャハンギール

 第5代 シャー・ジャハーン

 第6代 アウラングゼーブ、 である。

 シャー・ジャハーンを継いだアウラングゼーブも有能な武人だった。彼は父を幽閉し、兄弟を皆殺しにするのだった。ムガール帝国では皇帝になると権力争いのために、兄弟を殺さざるをえなかった。

 ムガール帝国は19世紀にイギリスに破れ、このイスラームの国は倒れて、在来のヒンドウ教が復活した。

 

 3日目。アグラ郊外にある町ファーテーブル・シクリへ行く。アクバル時代の城である。ムガール帝国の宮廷は、水不足のため、14 年でまたアグラに遷都した。これまで見た各城には謁見の場がある。 ドライブインで昼食したが、クーラーはない。途中の店でチェスの駒を見る。

 ジャイプール(Jaipur)へ行く。ここはラジャスタン州都で、別名ピンク・シティと言われ、計画都市で、ヨーロッパの真似をした。ジャイプール旧市街に風の宮殿があり、風の吹抜けがよい。宮殿の姫たちはジャイプールの祭りのたびに、宮殿からつづく細いトンネルを通って、ここに来て、外界を眺めたという。ジャイプールでは今、人々は貧困である。

  シティ・パレスへゆく。ジャイ・シン2世(カチワーハ家のマハラジャ)が1728年ころから建てた宮殿だ。小さな博物館をいくつか見学した。そしてジャルダン・マンタル、つまり天文台に行く。

  その後、宝石店を見る。ルビーや翡翠が売られている。次に、生地屋へ入り、シャツに象のプリントをしてもらい、ハンカチを買った。インドの綿製品、絹製品が有名だ。カシミア織り、インド更紗がある。ここにはペルシャの技術が入ったのだった。

  ホテルへ向かう途中で、湖の中の城を見る。美しい白い城であった。ジャイブールのメリディアン・ホテルに泊まる。

 

 4日目 24日。バスで出発する。アンベール城の手前で象に乗った。象の背中に4人が乗れる箱が設置されていて、象のタクシーと言っている。これに乗ったわけである。象の御者が金具で頭を叩いて進ませる。だから可哀想にそこに傷がついている。20 分くらいでアンベール城に着き、見学する。山城である。象は、時には運搬のために使われる。宮殿の壁は石で出来ており、触って見なさいと言われたので、触ると、とても熱かった。人々は部屋の壁を触らないで生活した。

 

 デリーへ行く途中、クトウブ・ミナールは、デリー中心部から 14 km南にある、高さ 725 mの塔で、石造りの塔としてはインドで最も高い。100 mあったとされる。クトッブッディーン・アイバク(1)がヒンドウー教徒に対する勝利を記念して建てた。

 

      1)?−1210。サルタナット朝の創始者。1200年ころ、北インドを征服した。

 

  デリーへ戻る。途中、なかなか綺麗なレストランで昼食をする。Kさん母子と共にであった。だが、食事の最中に少し停電した。インドでは電気はあまり広がっていない。国の3分の1だそうだ。したがって、インドはIT国だといわれているが、残りの三分の二の地域ではコンピューターもできない。また電気が通じるところでも停電時間の方が多い。多くは火力発電である。

  デリーの町を歩いていたら、奇っ怪な男性に会った。人間か動物か、アッと思って視線を外した。見たら失礼ではないかと思ったからである。しかし思い直して、あまりの姿だったので、よく見ようと思ったら、彼方へ去って行ってしまっていた。彼は四足で歩いていた。だから手が長い。私を見た時、笑い顔であった。非常に大きな犬と人間とが掛け合わされた形なのである。インドはすごい、と思った。

  紅茶店で、すでにしていた注文の紅茶を受取った。 カシミア織りの絨毯の店で、壁掛け、ショールを買う。デリー中心のレストランで夕食をする、Kさん母子とである。シシカカバブーであった、。市内で民族舞踊を見学した。だがレベルが低い。

 最後のホテルの朝食時に、胃をこわした日本人男性旅行者が食堂に現れた。水にあたったらしい。インドでは普通の日本人は生水は飲めない。ペット・ボトルの水を買うが、高いから普通のインド人がそれを買っているとは思えない。生ジュースは飲まない方がよい、うがいも生水でしない方がよい、火の通った食べ物でないとよくない、とガイドに言われた。ホテルではおいしそうなカット・フルーツがしょくじ時間に並んでいる。ところがこれを食べない方がよいらしいだ。フルーツをカットする包丁が水道の水で洗れていると、あたってしまうのである。インドでは一流のレストランと二流のレストランがあるとし、前者では綺麗な水で包丁を洗い、後者では水道水で包丁を洗う。その二流レストランで、ことによると日本人はあたってしまう。

  朝、昼、晩、カレーを食べる。いろいろな種類のものがある。豆、野菜、肉などが主である。インドのカレーは、普通の料理にカレースパイスを少し味付けに入れたものと考えるべきだろう。日本のカレーに比べて薄いから、昼と夜に食べても飽きない。食事は普通は手で食べる。米は小さくて細い。焼き蕎麦もある。バナナは小さいが、かなりおいしい。

 ホテルの枕銭と公衆トイレの際にチップは出すそうで、1人あたり5ルピーだそうである。チップのために彼らは種々サービスをする。ライターはあまりない。

 トイレは、空港ではインド人と外国人とに別れていた。インド人むけ大便用トイレは、古い日本のような座り方である。水が機能しないトイレもある。その場合、手桶がおいてあり、これで、使った手を洗う。左手が不浄なので,左手を使う。左手がない人はどうするのだろうか。小便用トイレは便座台が高い。インドではほとんどトイレはないと見た方が良い。インド人男性の半数は小便は屋外で立ち小便をする。農村ではトイレがないから、野良へ出て用を足す。この際女性が襲われ、強姦される。女性軽視と下層階級蔑視が理由である。

 2014年にデリー市が、あまりに市内で立ち小便が多いので、散水車を出して水で追い払った。しかしトイレがないからそうするのであって、トイレを沢山作る方が先だろう。

 牛は、神聖な動物とされ、北インドでは食べない。水牛は食べる。南インドでは牛を食べる。そこで北インドでは、牛の乳の出が悪くなると、牛が見離される。そこで野良牛となり、街を放浪している。そのため牛は痩せている。白い牛が多かった。街に牛が歩いているというのはのんびりしている。牛はおとなしいから大丈夫である。一方、水牛には持ち主がいる。食べてもよいからだ。動物市場があって、水牛はそこで売られる。トラックで運ばれる。羊が飼われ、山羊がいる。猿も聖なる動物だ。象もところどころ居る。らくだが荷物を運ぶ。豚も、野豚のような姿だが、いる。

 

 町には、小熊を立たせて小銭を貰う人、蛇=コブラを笛で動かす人、猿回し、がいる。乞食が多い。貧困だ。雨期なので雨がいつも降り、かなり激しい、しかしすぐ止む。

 熊の村がある、熊を調教して、見せて、写真を撮らせたり、車中の人から小金をもらう。

 性の村がある、カーストだ、若い女性が綺麗にしていて、売春をする。バスで田舎の国道を通っている時、昼間、その女性を見た。道端の縁台に寝そべるようにしていた。ガイドは、「トラックの運ちゃんなどが、彼女を買ってゆく」のだそうだ。

 我々の乗ったバスは、外部はとてもきれいに見えるが、内部は古い。ガタゴト走る。道路がよくないのかもしれない。街にバス・トラックというものが走っている。車の前がバスで、後部はトラックで、そこに人が乗る。

 インドの多くの街は汚かった。デリーの一部である官庁街はきれいだったが、それ以外は非常に汚く貧しい。商店も貧素である。人々はぶらぶらしている。人は衣服を着ていて、裸ではないが、シャツだけの人もいる。ズボンもはいている。だがスリッパが多く、靴は少ない。子供には裸足が多い。傘はほとんど持っていない。女性は美しい色のサリーを着ている人が時々いる。

 道路に、人と自転車と車、バス、動物、主に牛、バイクが、入り乱れて走る。追越しには警笛を鳴らす。これが頻繁で、うるさい。ただしそれは法律だそうだ。街にはほとんど交通信号はない。横断歩道もない。道路を勝手に横切る。都会では新聞売りが街に出ている。止まっている車のそばまで、交通の激しい道路の中までくる。

 花売りもくる。高速道路下で乞食が生活している。道路では果物が豊かに売られている。露店が多い。小ぶりのバナナ、マンゴー、その他名前が分からない果実。何もない土だけの所に、みすぼらしいコンクリートの家が乱雑に建っている、というのがインドであった。それらは非常に小規模の商店か、住宅である。店は暗い。道路に果物などを出して売ったり、屋台もある。露店もある。街路はゴタゴタである。ところどころ、水溜りがある。なぜか、つくりかけか、壊れたのか、という家が多い。多くの人が何もしないでいる。失業者だろう。ベンチに座って何もしない人が多い。寝ている人もいる。

 ガイドは、「道路に散髪屋がいるでしょう。50円くらいで散髪してくれますよ。」という。

 

 都会では、赤ん坊を抱いた女乞食がいる。子供の乞食もいる。かれらの目が必死である。街の一部には労働市場もある。ここで仕事を探すのである。

 小マフィアが、インドから赤ん坊がさらわって、南インドにもってゆき、これを女乞食に貸す。彼女らはお金を払って、赤ん坊を借り。物乞いをする。その方が収入が多いからだ。赤ん坊が成長して、幼児になると、小マフィアはこの子らの手か足かを切り落とし、物乞いをさせる。こういう話を石井光太が著書(2)で明らかにした。

 

   (2)『レンタル・チャイルド』新潮文庫。

 

 帰る際の空港で、立派なガンジーの木彫りの小さな像があって、買いたかった。値段を聞くと高かったので、まけないかというと、まけられないとのことだったので、買わなかった。インドでは値段を値切れというので、そうしたのだったが。

  我々は、インドとしては立派な主要道路だけを走ったので、実際はもっと悲惨であろう。街路には男が多く。女性は家の中にいるのであろう。インド人はホリが深くて、立派な顔をしている。

  大土地所有制のため、インドでは貧富の差が大きい。かつてのマハラジャ(地方王)が、政治的には権限はないが、経済的には巨大な力を持っている。農村は汚れていないように見えるが、町は汚れている。

 近年、インドで強姦事件が発生し、問題になっている。これは外国人旅行者が再燃にあったので、大問題になった。この強姦事件はインド人女性も怖ろしい被害を都会で受けて、併せて、大デモンストレーションが起きている。

 農村では、家にトイレがないので女性が家の度徒に出て用を足にゆく。そこをねらって、複数の男性が強姦をする。運の悪い時は殺される。インドはいったいどうなっているのか。

 一方、南部農村では、インド共産党毛沢東主義派が活躍している。これは、政府が公共事業のため、農民の土地を奪おうとしており、これを農民が自衛しているのである。政府軍と警官が農民を攻撃しており、農民は武器をもって守らざるをえない。

 

 インドでは、社会の空気が痛いという感じだった。タイでは、そういう空気を感じなかった。

 

   (参考)渡辺『タージマハル物語』朝日選書

        ベルニエ『ムガール帝国』岩波文庫