中国人と木
中国人留学生を数名、富良野のみやげ物店に案内した時のことである。彼らは色々有る土産物の中で、木製品のに非常に関心を持っていた。中国には、土産物一つとっても、あまたの貴重で珍しい文物がある。しかし、コーヒーのコースターや温度計、置物といった手ごろの木製品の土産物を、小生はほとんど中国で目にしなかった。勿論、中国にも木製品の高級な家具や調度品はある。けれども、気楽で手軽に買うわけにはいかない。
ちなみに、彼らは、シマフクロウの小さな木彫り像に興味をもっていた。森林が減少している中国では、東北部の山間地域等を除けば、珍しい鳥だとのことである。それで、小生が、シマフクロウはアイヌにとり、森やコタン(アイヌの村)の守り神であり、知恵があり、恵み深い最高の神としてあがめられていることを説明した。具体的には、コタンに近寄る魔物を怒鳴りつけ、熊の行動を監視し、アイヌがカムイ(神)からの恵みとして重要とする鮭を食糧とする鳥で、鮭を捕食する際、のどの一部だけを食べて、あとを人間のために残してくれる点で恵み深いとされた。そして、彼らはシマフクロウ商品を購入した。
中国の歴史を俯瞰(ふかん)すると、圧倒的に森林破壊の事例が多い。神話上の三皇五帝時代からして森林を切り開き、焼き尽くすことで、田畑を開墾したり、道路を開通させた。その後、歴代王朝も、巨大な都市や宮殿、万里の長城に代表される城壁の建設や墳墓の造営のため、また、青銅器の鋳造や製鉄のために、材木や燃料として大量の樹木が伐採され、森林は減少していった。例えば、万里の長城の建設のために燃料として焼かれる煉瓦のために、森林伐採が進み、ゴビ砂漠が生まれたという説は、有名である。また、中国で王朝変遷の際、都市は大規模な破壊を受け、そのたびに、新しい都市建設の資材調達のために森林が失われた。例えば、唐の都の長安は節度使の朱全忠により、 907年に滅ぼされた。その際、長安は徹底的に破壊され、その破壊された建物などの残骸は黄河に流された。半年以上、木材が流れ続けたことから、黄河は「木河」と称されたほどである。ちなみに、現在、その地にある西安市は長安の4分の1の規模であり、唐代の頃の建物として現存するのは、大雁塔と小雁塔だけである。また時には、為政者のわがままな浪費によって森林が失われた事例もある。例えば、秦の始皇帝のように行幸中、霊山として当時有名だった湘山(しょうざん)で嵐に遭ったことに激怒し、その山の木を切り払って禿山にした。また、今日でも、森林破壊にともない、パンダをはじめとする絶滅危惧種の減少が懸念されている。
ところで、中国における環境思想史を見るとき、浅野裕一『古代中国の文明観ー儒家・墨家・道家の論争ー』(岩波書店、2005年)という興味深い著書がある。これは入門書として環境思想史をまとめている。儒家は文明の全面肯定、墨家は節約型文明社会、道家は文明批判といった内容である。中国人は21世紀になってようやく「環境保護」が流行語になったと揶揄されることがあるが、実際、中国人の環境思想は、自然に対抗し、破壊を繰り返すことを単純に是認するものではないことを、浅野氏の著書から学習できる。
今の中国で必要な人物は、かつて毛沢東が礼賛した子々孫々かけてでも山を移そうとした愚公ではない。ジャン・ジオノ作・フレデリック・バック絵『木を植えた男』の主人公エルゼアール・ブフィエである。例えば、 日本でも、いくつかのNPO法人等が中国の乾燥地帯で植林事業をしている。その活動を通じて中国人スタッフが自発的にブフィエ老人のような活動ができるように協力することも重要である。また、例えば、北九州市が遼寧省に対して、工場の脱硫装置を取り付けたり、大気汚染の歴史を伝えたり、工業関連の官民の担当者や学術の専門家を日中間で意見交換させるといったような、公害を抑制する体制をはじめ、多岐に及ぶ活動もまた、重要である。
不幸にして、挫折した例がある。ある日本のNPO法人が不明朗会計のために組織がつぶれた。ちなみに、NHKの人気番組であった「プロジェクトXー挑戦者たち」でも取り上げられたことがある。また、中国の地方の高級幹部の一部が結果を早急に求めすぎたり、現地の住民の理解をなかなか得れない場合があり、決して順風満帆な道のりではない。しかし、時間や労力をかけてでも森林再生事業を成し遂げることは中国の自然環境向上のために重要である。
富良野の森を案内した時、木漏れ日に感動した中国人留学生の一人は、次の印象的な発言をした。「このような美しい光を見るのは、生まれてはじめてである。母国の家族にも是非、見せたい」。実に切実な言葉である。中国で、安全な農業生産をし、国民を養うための美田を残すことも勿論、重要である。他にも環境問題に関連し、子孫のために美しい森林を蘇らせることもまた、重要である。
(渡邊理)