バリ島

 

 2012年、インドネシアのバリ旅行をした。

 インドネシアは、1万7500もの島々からなる。総面積が 200万km2で、大半はマレー人である。70以上の種族からなる。農業国家であり、石油は世界で10位の産出だ(2000年)。インドネシアは、2億3千万の人口で、世界4位である。だから大国である。イスラム教徒 87%、キリスト教徒 10%、ヒンドウー教徒1%、仏教徒 1%である。1日2ドル未満で暮らす貧困層は、国民の半数いる。公用語はインドネシア語で、バリではバリ語もあるが、字はインドネシア語と違う。

 バリの隣のジャワ島に主都ジャカルタがある。そのジャワ島にインドネシア人口の半数が住む。

 バリ島は、周辺の島々と共にバリ州をなし、バリ語が話される。農業と観光が主産業である。例えば、日本からの観光客は年 45万人をこえる(2000年頃)。バリ島は、広さが 5600km2で、東西140km、南北85kmである。最高がアグン山( 3142m)で、第2がバトウール山( 1717m)である。人口は250万人で、2万の寺院がある。だから「神々が住む島」なのである。バリ・ヒンドウー教の島である。最高神は、イダ・サンヤン・ウィディ・ワサであり、この下に、生命を創造するブラフマン神、生命を保護するヴィシュヌ神、破壊と再生のシヴァ神、死の神ドウルガ、がいる。バリ神話では、悪魔の最高位・魔女ランダ、黒魔術の霊ルヤック、聖獣バロンがいる。

  米が2毛作で作られる。水力発電だが、不足している、と。時差は日本とは1時間遅れる。11月から4月が雨期で、乾期は過ごしやすい、と。

 

 バリの歴史はこうである。B.C.2000年から人が居住した。BC1世紀に、インド人、中国人により、ヒンズー文化、仏教文化がもたらされた。A.D. 34 世紀にバリにヒンズー教が伝わった。4世紀からヒンドウー・ジャワ人が来る。913年ころ、クルマデワ王朝がっできた。7世紀、ポロプドール寺院が建築される。10世紀、バリにヒンズー王朝モデルの多数の小国家画出来る。13世紀、ヒンズー王朝マジャバイトが台頭する。イスラーム教が到来する。マルコ・ポーロがジャワ島を訪問したという伝説がある。1292年にフビライが来襲した。15世紀までヒンドウー文化であった。16世紀初頭、ジャワがイスラーム国家マダラムに破れ、ヒンドウーのマジャパイト王朝がバリに逃れた。

 こうしてインドンネシアはイスラーム教の国だが、バリだけはヒンドウー教の地である。

 

 バリ島のデンパサール空港へ着いた。ホテルは、クタ地域の「ラーマヤーナ・リゾート&スパ」である。デンパサールのホテルへ行きたいと言っておいたが、行政的にはクタもデンパサールにあるので、クタになってしまった。

 毎日朝食がビュフェ方式で出る。部屋はよい。ベッドの足が高く、上るのが大変だ。気温は外気が 38度にもなる。

 初めのガイドはスアルナさんで、JTBには日本人向けガイドが100人以上いる、我々が世話になったSTWでは 23人いる、ということである。

 ホテルに着くと、若いプートーさんが案内した。部屋にはベランダがあり、そこで煙草を吸える。ホテルは全室禁煙である。

 バリの人々はお金の計算がよくできない、だからごまかされる、と忠告された。ごまかすつもりはないのだろう。2012年には1円が110ルピアだ。バリ人も単位が大きいので、計算しにくいのではないか。通貨は ルピア(=rp) で、紙幣は 10050010005000、1万、2万、5万ルピアがあり、コインは 102550100500ルピアである。1999年に100rp=1・5円、2009年に1円、となった。通貨ルピーは、ホテルで両替した。1ドルで 9000ルピーであった。ヴィザが 25ドルで、国へ入る時に払う。出るときは、ドルではなくルピーで300000ルピーを払う。

 

 1217日、第1日目

 朝 初めて、ホテルのビュフェ方式の食事をとった。ホテルにはプールがある。レストランやホテルに保安要員がいる。かれらは警官みたいの服装である。治安はよくないのだろう。

 昼、近くの海鮮料理店で値段をみずに、あわびを注文し、びっくりした。1つ4千円だった。100グラム単位の値段しか書いていなかったのである。 近くのコンビニで、煙草を買うが、安い。1315円だ。煙草はバリでは作らないで、ジャワ島で作る、そこに工場がある。毎日このコンビニで水などを買うことになる。物価が安い。ホテルでは毎日水を2本サービスする。電気は220ボルトである。バリ・ビールがある。

 午後から観光を始めた。ここでの観光はワゴン車がチャーターされている。初め、雑貨店=おみやげ店に寄る。まだ何も見ていないので、選べない。店の玄関や外にここの店の売り子が座っていた。客がいないからだが、変な風景である。ここでは労働力が余っているのである。

 自動車で行く途中の村で、ドリアンを見つけてくれて、1つ買って道端で食べた。1つ700円で、それを作る女性が売っていた。多分割高であろう。タイのドリアンと比べて、味が強く小さい。「日本人でドリアン好きとは、初めてだ」、とガイドのスアルナさんに言われた。だがそんなことはないだろう。ドリアンは、女房を質に入れても買って食べるべきだ、というほどおいしい、という諺があると、昔、教わったことがあるが、私はそれほどでは無いと思う。

 自動車は30年使うそうだ。 日本の自動車、バイクが多く走っている。交通信号はあまりない。だから好き勝手に走る。バイクは4人乗りする人もいて、それは認められている。公共の乗り物はあまり無い。

 野良犬が多い。飼い犬を野放し。あるいは最初から野良犬だ。交通事故で死んだ犬を、昔は食べた。しかし高血圧になるから良くない、ということになった。

 ウルワツ寺院へ行く。その森に猿がたくさんいる。猿は保護されている。入る時、黄色い布を付ける。宗教上の理由からである。寺は高い所にあるので、景色がよく、海が見える。ここはバリの南端で、ジャワ島が見える。ここの観光客は多い。

 寺院近くで、ケチャックあるいはケチャ(Kchak)・ダンスを見る。午後7時から始まり1時間。木製のベンチに国際的な旅行客が2百人くらい観劇する。半円形の観客席があり、そこに座って見る。自由席ばかりである。出演者は半裸の成人男性100人くらいのコーラスであり、身振りで伴奏の代わりをする。主演者が何人か出る。ヒンドウーの神話からの物語りが踊られる。最後に火が燃やされる。「ラーマーヤーナ」物語を、約70年前に取り入れた。「ラーマーヤーナ」は、B.C.2世紀ころできた、インドの叙事詩である。ラーマー王子の行状記である。日本では原典からの訳は、部分的にある。これは、別名モンキー・ダンスである。これはデンパサールでも行なわれる。

 ジンバランの海辺で夕食をとる。ロブスター付きを頼んでおいたのだった。名前の分からない海の白い魚を焼いたもの、そしてゆで蟹が出る。この魚は後に、鯛だと教わった。砂浜はすでに真っ暗なので、食事が見えない、そこでテラスに移った。本来は、サンセットを見ながら食事するというものだったが、とんでもないことになる。祖母が日本人だというウエイトレスがいた。ロブスターは移入である。生バンド演奏を頼むこともできる。ただしチップが必要だ。そんな気持ちにならないので、やめる。バリ・ワインがある。まだ十分美味しくはない。

 バリでは、家や店の前に必ず供え物を置く。自動車の中にも置く。神への供え物である。花などからなる。薄切りの竹で編んだ駕籠にいれる。これは女性が作る。忙しい人は自分で作らずに買う。有名な花はプルメリアで、男性も耳のあたりにつけている。

                       

 18日 2日目  ここからガイドはアリさんになる。朝8時半から夜9時半までの丸1日観光だ。

 ろうけつ染め店で買い物をする。その作り方を少し見る。私はTシャツとコースター、ワイフは、スカート等を買う。

 銀細工店へ行く。銀細工はチュルク村が有名だ。銀細工の仕方を少し見る。19才の少年が、自分は1カ月で1万円の給料だ、と言う。後に、これは特別だろうとアリさんは言う。普通は 34万円だとのことである。結局ここは、ひやかしだけで終わった。

 絵の村、絵の美術館へ行く、しかし美術館でなく、商売をしていた。民間の施設だった。そこで絵描きが雇われている。学問の神の絵を買った。どこも売り手は日本語がうまい。

 タンバクシリンのティルタ・エンプル寺院を見る。また黄色の布を腰に捲く。清水がわき出る寺であり、この聖水・清水につかって祈り、清めをしている人もいる。西欧女性もつかっていた。帰り際、土産物店が並ぶ。ペニスの形の木の栓抜きなどある。近くにスカルノ大統領が建てた別荘が高くそびえる。デヴィ婦人もここへ来たとかである。

 キンタマーニ高原で、インドネシア料理のビュフェを昼食にとる。バトウール山を見ながらだ。これは火山である。途中でスコールが降る。すごい勢いである、しかしすぐやむ。12月は雨期である。

 棚田の村、テガラランへ行く。道の途中に、展望台があって、棚田を眺める。女子小学生に絵はがきで、たかられる。「5万」と日本語で言っていた。帰り際、私が買わなかったのに手を振ってくれた。純朴なのだ。あの子たちはそのお金でどうするのかと聞くと、鉛筆やノートを買うのでしょう、と言うので、買ってあげれば良かった、と悔やんだ。

 行くはずの、熱帯植物が沢山あるという植物園は、スコールが降ったのでやめたが、止んでから別のコーヒー園へゆく。そこにも熱帯植物がある。木には名札も付いている。麝香猫のコーヒーがある。コーヒーの試飲で、7,8種が出る。そこでコーヒーも売っている。麝香猫のコーヒーは、おいしいとされ、値段も高い。麝香猫にコーヒーを食べさせ、その糞からコーヒー豆を取り出し、これから作るのである。実際飲んでみたら、普通のバリ・コーヒーよりもしっかりした味だが、特別おいしいというわけでもない。

 タマンユアン寺院へ行く。バリで二番目に大きな寺である。この時は観光客がほとんどいなかった。だから非常にゆっくり見られた。奇数の屋根の茅葺きの塔が並ぶ。ここに門前市がある。

 海辺のタナロット寺院を見る。そこへゆく前に門前マーケットがある。ここではあまり押し売りをしない。非常に観光客が多い。満潮には、渡る場所は隠れるらしい。白蛇神の記念もある。礼拝所には信者が並んで、洞窟内に入るのを待っていた。岩の上にある寺には観光客は入れない。夕食は、近くの丘の上にある海鮮料理で。海をみながらとるが、前日と同じ料理だった。その魚は鯛だというが、とても鯛には見えない。

 

 3日目 朝、バリ・マッサージの足もみをし、これはサービスで15分だった。よかったので、予約をする。

 昼、近くの同じ海鮮料理店で、ココナッツ水を飲む。ココナッツが丸ごと1つ売っていたからだった。ココナッツといってもは水だけだ。内側に少し白い部分がある。そこは食べられる。ココナッツ・ミルクはないようだ。ココナッツ・ミルクは、この白い部分と水分を混ぜて作るものである。りんごは輸入だ。

 午後から観光をする。木彫りのマス村、石彫りのバトウブラン村を通過したと思える。ウブド村の絵画を見に行く。ここは芸術の村とされる。ウブド地方に彫刻美術館がある、というよりも販売店である。ここは見るだけだった。それに値段が高い、白檀の彫刻などある。

 時間の余裕があったらしく、コーヒーの飲み比べ店に入る。麝香猫コーヒー、バリ・コーヒーなど試す。コーヒーは分量が多いので買わずに、チョコレートの中にコーヒー豆が入った物を買う。

 ウブド村を散策する。街路を2km位歩く。その際、果物を買った。物売りがかなり多い。タクシーの客待ちのドライバーが多い。この街ではあまり客引きはしていないようだった。街路には食堂の店の前で食事のメニューを配る女性や、マッサージ店のチラシ配りの女性が多い。街や道に絵の店が沢山ある。

 途中に民間の観光高校があって、それは夜学である。同じ校舎が公立小学校で、これは午前中に授業がある。この観光高校は先生がアルバイトで教える場合がある。バリには大学が3つある。 サッカー場の前も通った。ウブドの王宮をゆっくり見る。近くのホテルでインドネシア料理の夕食をする。

 バロン・ダンスをこの王宮で見ることになった。スコールが降ったので、屋根付きの劇場へ移る。スコールは道路ではくるぶしまでつかるほど降る。

 初めレゴン・ダンスが、次にバロンダンスが行われたようである。この違いはよく分からなかった。レゴンとは、ガムラン伴奏による舞踏芸術のことだ。舞踊は、ガムラン音楽で始まる。ガムランとは、様々なドラや鍵盤打楽器、太鼓による合奏である。

 バロン・ダンスは、聖獣バロンと、歯をむき出した魔女ランダの戦いだ。バロンは太陽の象徴で、善霊であり、ランダは、闇の象徴で、悪の魔術を使う。

 バリのヒンドウー宗教には、神に善と悪がある。白と黒は、善と悪だ。神の像に白黒のチェックの布を捲いている。善と悪は互いに対立するが、人は否定しない。右はよい、左は悪い。生活には善と悪があり、その調和が大事、だと。

 次に、舞踊劇スンダ・ウスパンダが行われた。最後に主演女優が、英語と日本語で挨拶した。日本人観光客が多いのだろう。

 

最終日   4日目

 デンパサ−ル(Denpasar)市中心に、バリ博物館、ププタン広場、カジャマダ通り、市場(pasar)がある。そこでデンパサールのバリ・ミュージアムへ行く。そこは元・王宮だった。主に3つの部分からなる。ゆっくり見る。高所から女性を探す王の話など聞く。これは、1932年オランダ政府により建てられた。

 市場も見学した。混雑と多様さ、何から何まである。だが狭い。様々な果物から野菜、日用品、そして少しだが魚もあった。すべてが入り交じった強い臭いだ。

 デンパサールで1番大きな中心的広場であるププタン広場に行く。ミュージアムはここに沿っている。広場で人々がチェスをしていた。1908年のオランダとの戦いの像がある。オランダに占領されて、多くの人が自殺したという。

 昼はホテルへの帰り際に、レストランで、私はナシ・ゴーレン、ワイフはポテトてんぷらをとる。ジュースはおいしい。パパイヤ・ジュースを飲んだ。

 車のチャーター代は この会社は1時間千円で、ガイド、運転手を含む。食事、博物館入場料、駐車場代(20円)は、こちら持ちちだ。

 午後4時、予約していた上半身のマサージをする、30分、3000円だ。この値段は観光客向けだ。バリ・マッサージは有名であるが、オイル・マッサージである。夕、昨日買ってきた果物を食べる。マンゴー、ライチ、マンゴスチン、パッション・フルーツである。パパイヤは大きすぎるので買わなかったが、いつか食べたい。南国なのでパイナップルなどはおいしいはずだが、みずみずしくない。品種改良をしていないようだ。

 夕食をまた例の海鮮レストランでとり、餃子と、煮物(豆腐、かぼちゃ、入り)にした。 伊勢蝦など、生きているのを見せてすぐ料理をするシステムの店でもある。伊勢蝦は値段が100グラム単位千円くらいだが、このエビは700グラムくらいあるから、実際はやはり高くなり、食べなかった。ドラゴン・フルーツを注文した。これも味がない。内側の白い部分で、黒い種があるが、そこの所を食べる。これをマンゴー・プリンで味付けしていた。

 辛い物が好きと、ガイドのスアルナさんは言う。バリ料理は、独特の味付けと、揚げ物が多い。暑いからだろう。私は何でも食べるが、バリの食事は長期間は食べられない。ミネラル・ウオーター以外は飲まないほうがよい。

 ホテルには土産物店がある。ここでワイフは、孫用の髪飾りのプルメリアの花、友人にブレスレットなどを買う、私は絵はがき(1枚 50円)だ。12月ころ、所どころ所で、新年の準備をしている、観光客のため、店ではクリスマスを用意している。

 

 ガイドが日本語を話すので、日本と日本語について聞いてみた。英語か、日本語が話せると、職がある、と。ガイドは日本語のレベルと賃金とはあまり関係がないという。

 初めのガイドは、今度日本へ行くと、うれしそうだった。バリ人の友人が日本人女性と結婚し、彼のところを訪れるそうだ。日本は先進国だ、そしてだから日本女性は綺麗だ、だから好きと、日本女性と結婚できたらよい、という。2人目のガイドは、日本に行って見たい、しかし結婚していて、子供も居て、経済的に苦しいから、日本には当分行けないでしょうね、と言う。

 ここでは長男が親を見る。社会福祉はないからだろう。

 夜、初めのホテルマン、プートー君とばったり会う、彼は愛想がよい。迎えにくる、と言う。だから少しチップをあげた。チップは、ガイド2人と運転手1人にも出した。バリの人は素朴で良いようだ。何となくやさしい感じがする。

 ホテルの一角に、ナラ王とダマヤンティー姫の像が建っていた。「マハーバーラタ」の一部をなす、数奇な生涯を送った物語の、主人公たちである。(『ナラ王物語』岩波文庫、あり)

  デンパサール空港の免税ショップで、土産用にコーヒーやチョコレートを買う。ところで指定された搭乗口で待っていると、搭乗口が急に替わわった。その対応が悪いので我々は混乱した。

 トイレは伝統的に日本と同じである。水道がきかない所はバケツとひしゃくがある。

 我々が行かなかったところは、総本山のブサキ寺院(アグン山)、そしてロンボック島にあるボロブトール大仏教遺跡であり、その島はデンパサールから飛行機で30分である。