いじめ
 
        倉田 稔
 
 今、いじめ、そしてそれによる学童の自殺
の問題が、日本中で取り上げられている。
 いじめ問題は、今まで、その取り組みが間
違っていたのである。そこでこれを解決する
方向を論じたい。
 今まで教育界では、いじめが、あたかも無
いようにとり扱ってきた。というのは、教育
委員会でも、学校でも、校長・教頭先生でも、
少なくとも自分の地域・学校では、いじめが
ないと装ってきた。これが間違いなのであっ
た。
 いじめは、どこにでもある。世界でもある。
日本では特に多い。ほとんどの日本の学童は、
いじめがあることを知っている。特に日本で
は、その根本的文化が集団主義であり、画一
性好みなである。だから、集団と違いのある人、
画一性からはずれる場合、いじめられること
がある。
 いじめがあるということ、日本では普遍的
であることを、教育委員会や学校は知るべき
であり、その上で対策を立てるべである。
 いじめが発覚すると、学校や教育委員会が
無策であると思われ、校長・教頭先生も出世
にひびく。そこで、いじめは絶対無いと云っ
て、がんばる。あるものを無いということか
ら、間違いが始まる。あるという前提で策を
立てるべきである。
 評価の仕組みを変える必要がある。いじめ
が発見されて、それを効果的に解決した先生
や校長は優秀であるとみなすべきである。こ
れを、教育委員会や文科省の方針にしないと、
いじめ問題はいつまでたっても解決しない。